1950年3月4日スリランカ紅茶ゴム農園四番目の息子として生まれる、上流階級の裕福な環境に育った。小学校の頃より〝神童〟と言われ学校成績は常にトップであった.。 14歳の時、仏門に一生を捧げる決心をし、小乗仏教スリスキスダルマ寺のパナテイッサ師から学ぶ。 20歳で見聞を広げる為にインドのカルカッタに出る、一年後にはブッタガヤ寺の代表となる。その翌年、サルナード寺(釈迦が最初に法を説いた場所の代表に昇進。まもなくインド仏教僧の第三位の地位に着く、高い位の僧や海外からの来賓を受け持ち多くの友人を得る。高僧ダライ・ラマとも親しい。 24歳の時、寺院建立のためドイツに向かう途中で神戸に立ち寄り、日本の大乗仏教日蓮宗の寺に滞在したのがきっかけで、大乗仏教を学んだ、個人の悟りを説くスリランカの小乗仏教に違い、大乗仏教の教えは衆正に対する慈悲の世界であった。その理想に目覚め、ド イツ行きを中止した彼は四ヶ年間日本で大乗仏教を修めた。その後も日本をしばしば訪れて学んでいる。 アメリカ、イギリス、フランス、ロシアを訪問し、多くの人々と接してきたが礼節を重んじ自然を愛する日本人が最高だと想い、これは不思議なことだが恐らく宗教を超えた精神性の伝統から来るものと思考された。 1976年から、スリランカ救済運動を18ヶ国に呼びかけ、精神的に活動し、経済、文化、教育にたずさわり、特に青少年の教育に力を注いでいる。 “大人を変えるのは難しい、まず、将来を担う子供たちに正しい躾を行い未来につなげて行きたいとかたる。 1981年、スリランカ首都コロンボ市に無料の幼稚園を開設、約400人が学んでいる。最初は自国の為のみであった事業が外国にも広がり、経験を積むことにより世界に向けての慈悲は実りつつある。 |
ペルポラ・ビパッシ氏について |
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Ven Pelpola Vipassi Thero氏 |
真世界宗教連合会 最高顧問 ・1950年3月4日生 ・インド マハ・ボディー協会カルカッタ支部 副官 ・ペルポラ・ビパッシ財団 創設者 ・スリランカ コロンボ ペルポラ・ビパッシ幼稚園 創立者 |
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